【第一回】アディダスの歴史について
皆さん、はじめまして!
アディダスが好きすぎて、ブログを開設してしまったZOMです。
このブログでは、アディダスのすべてを伝えていこうと思っているので、ぜひともヨロシクお願いします!
今回は記念すべき【第一回】ということで、まずはアディダスの歴史について洗いざらい(使い方間違ってたらすんません…)語っていこうと思います!
それではーっ、スターーーーーート!!!
1、成り立ち
まず、アディダスはアドルフ・ダスラーという人物が始めたスポーツ用品メーカーです。最初は、兄であるルドルフと靴製造会社である「ダスラー兄弟商会」を立ち上げていたのですが、意見の対立により、これを解消。
そののちにアドルフが一人で設立したのが、「アディダス」です。
ちなみに、この「アディダス」という社名は、アドルフの愛称であったアディと苗字であるダスラーをつなげて読んだものです。
……愛称と苗字をつなげるって、社名それでいいのかっ!って感じますよね。まぁ、響きはいいし、覚えやすいけど…あっ、もちろん僕は好きですよ?
2、三本線 (スリーストライプス)
アディダス設立から、しばらくして、アディダスを象徴する三本線が使われるようになります。
実は、この三本線、元々はアディダスのものではないんです。最初は、フィンランドのスポーツブランド「KARHU」が商標登録していたものであり、アディダスは全く関係なかったのです。しかし、この三本線に目をつけたアドルフが、交渉の末、商標の権利譲渡を受けることになります。
そう、この時に、アディダスの三本線が誕生したのです。
ちなみに、アドルフが三本線に目を付けた理由は、当時の革製の靴だと履いていくうちに、中足部が伸びてしまい、それを補強するために三本のバンドが必要不可欠だったからだと言われています。
……アドルフさん、流石!って感じですよね。そうそう、あの三本線があってこそのアディダスです。僕なんて、あの三本線を見ただけで興奮してきますよ……。
3、転落と復活
その後、アディダスは、創業者のアドルフの死や、子供たちの経営権争いなどによって、迷走を始めてしまいます。
それまで、業界一位だったのが、ナイキ、リーボックに続く業界三位にまで転落してしまいました。
しかし、フランスの実業家であったロベール・ルイ・ドレフェスが経営権を握ったことにより、黒字となり、無事復活を果たしました。
そして、復活したアディダスは今日まで、幅広い知名度と熱狂的な人気を保っているのです。
ふぅ、一旦落ち着きましょうか。
いやー、僕的には結構語ったかな~って感じです笑
てことで、【第一回】はこの辺でお開きにしたいと思います!
これからも、アディダスのことについて語っていきたいと思うので、どうぞヨロシクお願いします!
ではでは~